こちらの記事は、下記記事をまとめて転載した記事です。
「学び」
・解釈がなければ、どんな「体験」も「経験」したことにはならない
・難点を聞き出すために何点かを訊く
・ルーティンを見直すルーティン
・憧れの仕事に就けなかったこと
・「doの価値」に目を奪われて「beの価値」を見逃していないか
「マインド」
・「やる気」にムラがあっていい!モチベーションをコントロールしないで成果を出す方法(ライティング編)
・期待よりも感謝、指示よりも承認。
著者のWebメディアからの転載記事です。
(著者:黒田悠介さんからの承諾はいただいております)
解釈がなければ、どんな「体験」も「経験」したことにはならない
「体験」は、そこに自分なりの解釈や意味付けを行うことによって「経験」へと昇華されます。
どんなに素晴らしい体験をしても、それを流してしまっては、その体験前後で自分自身に変化が少ない。
だから、そこでちょっと立ち止まって「わたしは何を体験したのか」と振り返ってみたい。すると、新たな気づきが得られるものです。
その気付きは一生モノだし、まさに「経験値」として蓄積されていきます。体験がフローだとすれば、経験はストックだと言えるでしょう。
どんなにアクティブな人でも、体験をフローとして流してしまうか、経験をストックさせるかで、その体験から引き出せる気づきや長期的な成長も変わってくる。
体験=できごとに際してうまれる「認知」+「感情」
経験=できごとに際してうまれる「認知」+「感情」+「思考」
引き出し力
こうして、振り返りによる解釈や意味付けで「体験」を「経験」に昇華させる思考力のことを「引き出し力」と呼んでもいいかもしれません。引き出し力が高いとき、その人はどんなできごとに対しても学びを得たり感動することができたりします。
わたしの身の回り(特に議論メシなどのコミュニティ)では、引き出し力が高い人が多いように思います。
そして物語へ
人生は様々な「経験」の積み重ねでできています。縦方向が時間を表すミルフィーユみたいなイメージ。その積み重ねが「物語」となり、その人の独自性(アイデンティティ)の基盤となっていきます。
自分とはなにか、という基盤を持つためにも、経験のストックを持っておくのが良いのかもしれません。とかく他者の期待にまみれた世の中ですから、自分の芯となる物語はしっかりと持っておきたいものです。
難点を聞き出すために何点かを訊く
それはスタートアップも大手企業もフリーランスも同じ。ユーザーやクライアントとの対話は気づきや学びの宝庫です。
でも、フィードバックをわざわざくれるような「良い人」のなかには、褒めてくれるばかりで難点を指摘しない人も多いものです。
できれば、そういう慎ましい人からもフィードバックがほしい。
ポジティブなフィードバックも無意味ではありませんが、褒められてばかりでは気分は良くなったとしても、それだけでは今後の改善やイノベーションにつながるような洞察にはつながりませんか
「難点は?」ではなく「何点か?」
では、どうしたら難点についてフィードバックをもらえるでしょうか?
それは「100点満点でいうと何点ですか?」という問いに置き換えることです。このほうが、「難点はなんですか?」よりもその人の主観を引き出しやすい。
たとえば相手が95点と言えば「けっこう高得点ですね。残り5点を上げるにはどんなことがあると良さそうですか?」という感じで訊いてみる。
点数を訊くことで、その人がなんとなくモヤモヤを感じていて言うか言うまいか考えているようなときや、遠慮があって指摘を控えているときなどに、有意義な対話のきっかけになります。
ちなみにこの質問に30点と答えるタイプの人はもっと早い段階で難点を自ら口にしているので、この質問を使う場合にはだいたい高得点になりますw
この問いの欠点は、100点という「正解」があるような錯覚を持たせてしまうこと。でもその点に意識的になれば問題ないと思います。
実践が重要なのは言うまでもありませんが、その実践を重ねて進化していくにはフィードバックが欠かせません。問い方を変えることでより広く深いフィードバックを得られるなら、やってみて損はないと思います。
ルーティンを見直すルーティン
なかでも「ルーティン化」する場合、自分でそのタスクを繰り返しているうちに習慣になることがあります。あまりアタマを使わなくてもできるようになる。
習慣には良いイメージがありますが、それは無思考なままルーティンを続けてしまう原因でもあります。環境や状況が変わって不要なタスクになっていてもそれに気がつかないで習慣で続けてしまう。時間を生むはずのルーティン化が時間をムダにする原因にもなるのです。
人間の脳の現状維持バイアスもこれに加担しています。一度身につけたライフスタイルを変更するのはストレスなので、避けようとしてしまいがちです。脳は変化によって生存確率が変動することをリスクと捉えますから。
だから、ルーティンを見直して不要なルーティンを停止するというルーティンが必要になります。無思考でできるようになった習慣をあえて思考の対象にする、というルーティンです。
わたしはあるツールで自分のルーティンのリストを管理していますが、そのなかには実際に「ルーティンを見直す」というルーティンが存在していて、1ヶ月おきにリマインドされるようになっています。
何事も、始めるだけじゃなく、やめるときが来る。習慣という名の惰性で続けてしまわないためにも、やめるための仕掛けをセットにして始めたいものですね。
やめることができるからこそ、あたらしいことに取り組める時間が増える。
なにかを始めるのが難しいとき、実は今やっていることをやめることが先なのかもしれません。
憧れの仕事に就けなかったこと
ほんとうは、コピーライターになりたかった。
就活生の頃は言葉を仕事にするその職業に憧れ、社会人になってからもコピーライター養成講座に通ったことがあります。
努力してもスキルや評価が伸びることはなく、書き言葉で食べていくことは叶わずにここまできました。コピーライターの才能と努力と運のどれか、もしくはすべてが欠けていたのかもしれません。
でも気がつけば、書き言葉ではないものの、「ディスカッションパートナー」として話し言葉を仕事にしている今があります。コピーライターほどたくさんの人に自分の言葉を届けることはできませんが、目の前の一人のために言葉を紡ぐことは面白いものです。
それに、自分が良いと思うコンセプトを広く伝えてみたいという想いは、自分の本を出版することで実現しました。
コピーライターにはなれなかったけど、あのときの夢は、ちょっと違うカタチで叶っていました。
夢や目標の「違うカタチでの実現」ということを受け入れると、叶いやすくなるんだな、とか思っています。
肩書きや職種に縛られなければ、実現の自由度はグッと上がりますから。
「doの価値」に目を奪われて「beの価値」を見逃していないか
doの価値(行為の価値)
は派手。だから、私たちの意識はそれに目を奪われやすい。でも、実は
beの価値(存在の価値)
もバカにできません。むしろこのbeの価値を積極的に認めていくことが必要な時期に差し掛かっているとも感じます。わたしの仕事で言えば、アドバイスをしたり問いかけをするのはdoの価値。これは分かりやすいし、お金にも交換しやすい価値です。でも、私がディスカッションの場にいるだけでクライアントの脳のモードが切り替わって、新しい発想が出やすい環境になるなら、それはbeの価値だと言えます。なにか行動しているわけではなくても存在そのものが価値になっている。
同様に、観葉植物にはdoの価値はなくても、beの価値があります。なにかしてくれるわけではないけど、心が安らぐ。お地蔵さんもそうでしょう。目にしたこちら側が、何かしらを感じて、態度や心の在り方が変わります。こうしたbeの価値を人間においても見出すことができるはずです。
きっと、おじいちゃんやおばあちゃんにあるのは、beの価値。歳をとって「できること」が減っていっても「いること」はできる。そして、「いること」によって場の雰囲気が変わる。
高齢化していく日本。できることがなくなっていく老年に価値を見出すには、このbeの価値への注目が必要だと思います。そうすることで、高齢者を多く抱えることをポジティブに捉えることに繋がるんじゃないかなと思うのです。
フリーランスも年齢とともにdoの強みが減っていくときが来るので、be系フリーランスになれたら長いあいだ働けそうですね。
あなたの「beの価値」はなんでしょうか?
長寿化する時代にマッチした問いの1つかもしれません。
「やる気」にムラがあっていい!モチベーションをコントロールしないで成果を出す方法(ライティング編)
書かなきゃいけない原稿があるのにどうも気分が乗らない。そんなときは書かないことにしています。どうせ書くなら「やる気」になったときに楽しんで書きたいし、その方が良い文章が書けますから。
「やる気」になった瞬間を逃さない
ふとした瞬間に書きたくなることがあります。それは突然なので事前に計画することはできません。だから、そのタイミングを逃さずに書き始めてしまうことが重要です。
「これはどうしても今書きたい」みたいなやる気が出たときは移動をタクシーに切り替えてタクシーの中で書いたり、すぐ近くのカフェに入って書いたりします。屋外でPCを広げて骨子だけ書いちゃうこともします。
もしPCが出せない環境でも、まずはスマートフォンでevernoteやmediumの下書きに保存しておくのがよいです。
「後でやろう」は、ばかやろう
です。やる気になった瞬間を逃さない。その熱量はもしかしたら二度とやってこないかもしれませんから。
カレンダーに登録した作業予定は容赦なくリスケ
もちろん、納期があるライティングの仕事もあります。その場合はかなり余裕をもってカレンダーに作業予定を登録しておきます。
ですが、これを厳密に守る必要はなくて、いざ予定していた作業時間になったときにやる気があまり無かったら容赦なくリスケします。
期日までに仕事をすればOKなので、それ以外の自分で決めた早めのスケジュールはいくらでも変更してしまえばいいのです。
中途半端で止める
もし原稿をその「やる気」になったときに書き上げることができない場合は、中途半端なところで手を止めましょう。
キリが良いところで止めてしまうと、次の文章を書き始めるのが難しくなります。あえて中途半端で止めておくことで、作業を再開したときに書き始めがスムーズになるのです。
期待よりも感謝、指示よりも承認。
人と言葉を交わすタイミングについて、「事前」と「事後」に分けて考えてみたい。私は、事後の言葉のほうを大事にしたいと思っています。
人は「事前」に空想しすぎる
私たちは「事前」にいろいろなことを考えてしまいます。これは、人間の脳が持つ空想のチカラ。
これが生存に有利に働くこともあるけど、いろんなことを事前に空想しすぎてしまえば、それは私たちに不安や妄想を引き起こしたり、あらぬ期待を抱かせたりする。
そのような空想は当然、世の中や自分だけでなく、他人にも向かう。
空想はポジティブな方向性の場合も、その逆にネガティブな場合もある。それぞれ、どういうことが起きるかを考えてみます。
ポジティブな空想=「期待」
他人に対するポジティブな空想は「期待」を伝える言葉になる。でも、期待は相手にとってはプレッシャーになったり、期待が裏切られたときには失望に反転することもある。
だとしたら、事前の期待よりも、事後の感謝や感動を言葉にしたほうがいい。
期待してはダメだ、というわけじゃない。期待するのは勝手だし、期待の元になる空想は脳が無意識に生み出すもので抵抗できないかもしれない。
でも、それを言葉にするのを控えることはできるはず。そうすれば、不要なプレッシャーは避けられるし、必要以上に失望することもない。
ネガティブな空想=「指示」
他人が主体的にやるべきことをやってくれる、やるべきでないことをやらないでいてくれる、というポジティブな空想は「期待」になるけど、その逆のネガティブな空想は「指示」の言葉になる。
指示しないとやるべきことをやらなかったり、やるべきでないことをやってしまったりするかもしれないから。
でも、指示は他人の能動性を奪ったり、人間関係に上下を意識させてしまう。そして指示はルールとして固定化していく場合もある。
だとしたら、事前の「指示」よりも事後の「承認」を言葉にしたほうがいい。
指示する代わりに、望ましい行動を承認する。それによって、能動性がかえって高まるし、上下関係も生まれない。そして、ルールの代わりに文化が生まれていく。
事前よりも事後の言葉を大切にする
人との関係性は「事前」よりも「事後」の言葉によって深まったり広がったりするんじゃないかなと思います。
空想を向けるべきは、他人ではなく、世の中や自分自身。逆に、他人には空想ではなく事実に基づいた言葉を交わしたいなあと思っています。