著者のWebメディアからの転載記事です。
(著者:黒田悠介さんからの承諾はいただいております)
概要
信用と信頼。似ているので混同されがちですが、実はいくつかの真逆の性質をもつ言葉です。
フリーランスをしていたり、コミュニティデザインをしながら人まみれになっていたりすると、これらの言葉について様々な経験を通じて敏感になっていきます。
英語では信用はcredit、信頼はtrustですね。こうみるとあんまり似ていないので、なるほど違いがありそうな気がしてきます。
さらに、これらの言葉の使われ方を思い起こすと、その違いがより鮮明になってきます。
双方向か単方向か
例えば「信頼関係」とは言いますが「信用関係」とは言いませんよね。このことは、信頼は関係性の種類や質を表しているのに対して、信用は関係性とは独立して取りうる態度だと考えられます。
信頼は双方向で、信用は単方向だとも言えるかもしれません。
客観的か主観的か
また、例えば「信用情報」とは言いますが、「信頼情報」とは言いませんよね。このことは、信用は客観的な情報によって判断できる尺度であって、信頼はそうでなく主観的な判断であることを示しているように思えます。
実際に、クレジット(credit)カードはその人の支払い能力についての客観的な信用(credit)情報があるからこそ成立しているサービスです。
共通点は「他者に対してリスクを伴う」
こんどは逆に信用と信頼の共通点を考えてみましょう。
信用することも信頼することも、他者に対してリスクを伴います。お金を貸しても返してもらえないかもしれない、仕事の場面で自分のことを搾取するかもしれない、などですね。
そのようなリスクをとってでもやってみようと思う時の判断基準が信用と信頼では違うのです。
まとめるとこういう感じ。
信用→単方向で客観的な判断基準で他者に対してリスクをとる
信頼→双方向で主観的な判断基準で他者に対してリスクをとる
ということで、「信用と信頼」の違いについて結論が出たようにも思いますが、もうちょい深堀りしてみましょう。
初対面の人を「信用」するか、「信頼」するか
実際に人と接する場面でこの信用と信頼を考えてみましょう。
例えば、初対面の人については、客観的な情報が得られないことも多く、その場のちょっとしたコミュニケーションから信頼するか否かの二択を迫られることになります。
でも、もしそこにFacebookで共通の知り合いがいたり、過去の実績がオンラインで公開されていたり評価されたりしていたら、それらの情報を元に信用することができます。
その信用は、仮に信頼関係がなかったとしても、客観的な情報のおかげで成立します。信頼なき信用です。
逆に、以前からの知り合いで信頼関係がある場合は、信用できるかどうかといった判断は不要になるのでしょう。信頼は信用を不要にします。
これはフリーランスの取引の場面でも重要な観点になります。どういうことでしょうか。
フリーランスの信用と信頼
フリーランスになって5年目になって感じるのは、信用で仕事を得る場合と信頼で仕事を得る場合の明確な違いです。
あまり関係性がないクライアントとの取引の場合、クライアントがリスクを取って依頼するには「信用」できる必要があります。つまり、過去の実績や評価という信用情報による判断が行われます。
逆に、以前からの知り合いとの取引の場合、そこに「信頼」関係があれば、信用情報は必要ありません。
このことから、フリーランスが仕事を得るには「信用情報を貯める」か、「信頼関係を築く」か、といった戦略があり得ることが分かります。
この戦略はどちらか一方が正解というよりは、コトへの向き合い方(信用)とヒトへの向き合い方(信頼)をちゃんとやっていくべし、ということかなと思います。
コミュニティは信用で回る?信頼で回る?
コミュニティでは新しい人間関係が生まれるので、常に他者とのリスクが存在します。このとき、コミュニティメンバーがそのリスクを取るのは他のメンバーを「信用」しているからでしょうか、それとも「信頼」しているからでしょうか?
コミュニティに入ったばかりのとき、一人ひとりの過去のこと(信用情報)は知らないことが多いでしょう。なので、そこには「信頼」が生まれている必要があります。
この信頼は「同じコミュニティに所属している」という関係性や、「ひとまず信頼してみよう」という前向きな姿勢、あるいは「この人は信頼できるだろう」と判別する対人知性によって生まれたりするのでしょう。
信頼したうえで一緒に何かをやったりしながらさらに信頼関係を深めたり、信用情報を手に入れたりしながら、信用と信頼の両方を育んでいくプロセスがコミュニティにはよく見受けられます。
信用と信頼の違いについての結論
ということで、信用と信頼について考えてみました。フリーランスとして仕事をするにしろ、コミュニティで誰かと何かをするにしろ、この両方によって社会的な実践ができているわけです。
個の時代ともコミュニティの時代とも言われますが、信用と信頼について敏感になることで、うまく乗りこなすことができるんじゃないかなと思っています。