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わたしが「なあなあ」で仕事をする理由

著者のWebメディアからの転載記事です。
(著者:黒田悠介さんからの承諾はいただいております)

概要

フリーランスとして仕事をするときに、契約時に明確にやることを決めることはほとんどありません。ほとんどが「なあなあ」な状態で始まります。

とりあえずやってみましょう

というスタンスです。

私の場合は「ディスカッションパートナー」という肩書きなので、仕事はクライアントの経営者とディスカッションすることです。ディスカッションは1回あたり2時間のセッションで、毎週もしくは隔週1回で行っています。

このディスカッションも「なあなあ」で始まります。個人的な話や仕事でのちょっとしたできごと。いわゆる雑談です。そこからいつの間にか重要な話題に移行していきます。

契約も仕事のやり方もこんなふうに「なあなあ」なのです。でも、この「なあなあ」が大きな意味を持っています。

なあなあとは「馴れ合い」「てきとう」「妥協」といった意味に通じる言葉で、相互の主張・意見を適当なところで折り合いをつける際などに用いる(この場合の折り合いとは相互の妥協点であり、徹底した話し合いで決められた場合や前向きな判断による場合、なあなあとは言わない)。また、「適当なところで済ませる」「妥協して折り合いをつける」といった動詞として使う場合、「なあなあにする」「なあなあに済ませる」といった表現が用いられる。(日本語俗語辞書より)

「なあなあ」は可能性が開かれている状態

あまり良い意味で使われない言葉ですが、わたしは実はこの言葉が好きで、できるだけ「なあなあ」でいようとすら思っています。

脳を例えに、わたしの考えを説明してみます。

生まれたばかりのころ、脳はあらゆる言語を習得する可能性があります。親が使っている言語に応じて必要のない神経回路を刈り取っていくことで、母国語の話者として適合していきます。

言語にかぎらず、脳は環境との相互作用を通じて可能性を彫琢していくわけです。脳は明確な設計を持って生まれてくるのではなく、柔軟に変わっていくもの。

実は、これは仕事での人間関係の在り方に共通する部分があります。

クライアントとの関係性がどのようなものになるのか。これは共通の実践を通じた相互作用で決まっていきます。繰り返しコミュニケーションをしたり空気を読んだりしながら、あるところに落ち着いていきます。

どんな関係性になるのかは予想できません。また、その関係性も時間の経過とともに変化する流動的なものです。関係性にはあらゆる可能性が開かれており、実践を通じて可能性を彫琢していくのです。

だとすると、最初に「なあなあ」ではなく「ガチガチ」に関係性を決めることは可能性を狭めてしまう。あり得た関係性をなきものにしてしまうことになります。

「なあなあ」は可能性が開かれている状態と言えます。

「なあなあ」が効果的に働いた例

例えば、ある企業では事業作りの話をしようとディスカッションを始めたものの、いつのまにか人材や制度の話になっていました。対話という相互作用を通じて真の課題が見えてきたのです。

結果として、将来事業を生み出せる、チャレンジすることができる人材を採用する手法や、育成する制度についてディスカッションすることとなりました。

もしこのときにあらかじめ「新規事業のディスカッションをする」というふうにお互いの関係性を定義していたら、真の課題は見えなかったかもしれません。

関係性は場の定義に影響をあたえるからです。

他にも、ディスカッションパートナーとして関係性をスタートさせた後に、実はお互いに補完し合えば面白いことができると分かったためにユニットを組んで活動したケースもあります。

また、ディスカッションパートナーとしての依頼をくれたクライアントが「息子の進路相談に乗ってほしい」という依頼もくれるということもありました。

お互いの役割や場の定義は最低限にとどめる。これが可能性を拡げるコツだと思います。役割を超えた個人同士の関係は、あらゆるカタチに発展することができます。いわば関係性の未分化細胞ですね。

フリーランスの場合、クライアントとの関係性の糸口になる提供価値は必要でしょう。でも、あくまで糸口であって、ずっと同じ関係性や提供価値である必要はないのです。