著者のWebメディアからの転載記事です。
(著者:黒田悠介さんからの承諾はいただいております)
概要
私は「やりたいことをやろう」というアドバイスが好きではありません。数百人のキャリアカウンセリングを通じて一度も言ったことがないと思います。無意味なんですよ。このセリフを吐く人は、基本的にアドバイスする相手に好意的な印象を持ってほしいというだけだと思っています。相手のことを思っていたらこんな無責任なことは言えない。
正論も持論もアドバイスではない
本当にやりたいことだったら言われなくてもやっているんですよね。でもそれができていないのだとしたら、どうすることもできない状況や心理的な制約がそこにはあるはず。だからその状況を変えたり、一歩踏み出すためのアドバイスや勇気づけが必要です。「やりたいことをやろう」は正論過ぎて無意味です。
これは「戦争反対」なんてみんな思っているけど、その正論を振りかざすだけでは何の役にも立たないのに似ています。空を切るばかりの空論と言ってもいい。
確かに、私自身やりたいことをやれているので、「やりたいことをやるのは楽しいよ、幸せだよ」と感じているのは本当です。でも自分の考えを述べることとアドバイスは根本的に別物だと考えなくてはいけません。あなたとわたしとは違うのです。価値基準を押し付けることは、相手の尊厳を損なうことですらあります。
インドア派の私に対してアウトドア派の人がどれだけバーベキューの楽しさを説いたとしても、鬱陶しいだけです。インドア派にしか理解できない愉しみもあるのです。
そう考えると、持論は「個人的正論」なのであって、アドバイスとして役に立たないのは当たり前なのかもしれません。
大事なのは悩みの登場人物を理解すること
「やりたいことをやれない」という状況には、必ずといっていいほど他者との関わりが絡んでいます。大半の悩みは人間関係だという心理学者もいますが、私もそう思っています。
だから、アドバイスをする前に、対話を通じて「あなたは誰のことを気にしているの?」ということを突き止める必要があります。
- 親や配偶者が反対しそう
- 上司に退職を伝えるのがこわい
- 失敗したときに、採用担当者の印象が悪くなるかも
- クライアントへの営業で断られるのが辛そう
こういった思い込みが「やれない理由」として特定されたとすると、次にそれらの悩みの登場人物と自分を分離して考えるステップに入ります。
自分と悩みの登場人物のあいだに線を引く
例えば親の反対を懸念している場合には、親と自分との間に明確な線引きをします。最終的に責任を負うのが誰なのか、というのが線引きのポイントです。アドラー心理学では「課題の分離」と言われているやつです。
例えば、やりたいことをやって失敗したときに最終的に責任を負うのは本人であって親ではありません。だから、やりたいことをやるかどうかは本人の課題。
同様に、自分の子どもがやりたいことをやっているときにどう感じるのかは、親の課題です。心配するかもしれませんが、それによってヤキモキするのは親であって、相談者ではありません。
そうして課題を分離したら、両者のあいだにある線を越えて土足で踏み込むようなことをしないし、踏み込ませることもない、と決めるのです。
だから、親が心配していたとしても、それは親の課題であって相談者の課題ではないので、気にしない方がいいです。それ以上親に踏み込ませてはいけません。逆もまた然りで、相談者は親に対して踏み込みすぎてはいけません。「いつか理解してくれたら嬉しい」という希望は捨てずに、でも説得することは諦めましょう。相手の脳に手を突っ込んで神経を繋ぎ直すことはできませんし、子どものことを心配するかどうかは親の課題ですから。
課題の分離という考えは一見冷たく思えるかもしれませんが、相手を尊重し、信じているからこそ、線を引くのです。
他者を信頼しているからこそ、自分と分離する
例えば、親がいつまでも子どもの靴紐を結んであげていたらどうなるでしょうか?その子どもは靴紐を結ぶことができない大人になるでしょう。子どもの課題に親が干渉しすぎた結果です。
この場合、親は「この子ならできるはずだ」と信じて、結び方を教えた後は自分で学ばせるべきだったのです。靴紐を結べないことで最終的な責任を負うのは子どもの方なので、子どもの課題です。その課題を親が奪ってしまってはいけません。このように、課題の分離の裏には相手への信頼があります。決して人を孤立させる冷たい考え方ではないのです。